「音楽家支援」は本当に「正しい」のか?という問い
音楽家への支援金・寄付・投げ銭...事業を営んでいますが、音楽に限らず「目的意識を持って打ち込む人にお金を送ること」について考えさせられる機会が非常に多いので思うところを。
ある財団の音楽家支援プログラムのHPに「音楽で食べていけるのは一握り。だけど音楽は素晴らしいものだから、そこに挑戦する人たちにご支援を。」といった主旨の内容が書かれていました。
合理的に考えて「音楽で食べていける」人が一握りしかいないのであれば、音楽家は「一握りしかいらない」という結論でいいと思います。要するに、消費者の需要にくらべて音楽家が多すぎるということです。
それを、音楽をよく知らない人たちが決めた公的な予算を使って、本来なら廃業するべき音楽家を生き長らえさせるのは、紛れもなく「業界を歪ませること」に繋がります。
なぜ業界が歪むほどに需要を超えて音楽家が増えすぎてしまったのでしょうか?
そもそもクラシック音楽に関しては、ご存知の通り西洋由来のものですから「他所の文化」に他なりません。
さらに、明治時代、欧米との格差を縮めるために日本が国家を挙げて西洋文化を取り入れていた文明開化に起源があることから察するに、「欧米諸国と対等であることをアピールするための手段」として国が力を働かせて人工的に取り入れたものでしょう。
(前提として私はクラシック音楽には底しれない魅力を感じますし演奏するのも聴くのも好きですが、)これはクラシック音楽が、「その魅力によって我が国にやってきたものではない」ということだと言えます。
すなわち西洋音楽は、「文化芸術として日本が守るべきものではない」と私は考えます。
こうした矛盾を抱えて長い時間を経て、日本が西洋音楽を担うことの価値を「音楽は素晴らしいものだから」とか「教養として知らないといけない」といった美しくも抽象的な正当性を隠れ蓑にして意味もなくごまかし続けているのが我が国の現状だと思います。
音楽家の供給過多問題に戻ります。
芸術全体の話になりますが、2009年に東京藝大で講演も行ったというアーティストで経済学者のハンス・アビング氏の著書では、「資金の注入はアーティストの貧困を加速させる」という理論が展開されていました。
私はこれをビジネスマンとしての立場から「甘やかされたことにより価値の創造をやめてしまう」ということだと解釈しました。
芸術に限らず、民間事業者等に給付される補助金の類にも言える話ですが、実際のビジネスの現場においても「この補助金のために〇〇をやりたい」といった要望があります。
そこにアーティストやビジネスマンとしてのビジョンは介在するのでしょうか?
本来、ビジョンを達成するために障壁になるお金の問題を解決するために存在する補助金が、受給できるかどうかという視野の狭い賞金ゲームになってしまいプレイヤーたちビジョンを曇らせる結果になっていると私は考えます。
私はつくづく資本主義的な考えをしがちだと自覚してしまいますが、結局「儲からないなら去るしかない」と思います。
儲からない=求められていない、ということになります。
もちろん、たった数人のお客様のためだけにコンサートを開催することは、悪くないことですし、むしろそこまでしてやることには強い大義や意志があるのだと思います。現に私も数人しか来ないコンサートで好き放題自分のやりたい曲を演奏したりしていました。
ですが、例えば「10人以下の公演でもやるのは素晴らしい」という考えをもとに「10人以下の公演を対象にした20万円の補助金」が存在するとしたらどうなるでしょうか?
私が補助金ビジネスマンなら、売れないで困っているアーティストを大量に集めてそれぞれの名義で補助金を受給してそこからコンサルフィーを取ります。
具体的には、10人くらいしか入らない狭い会場をオーナーに交渉して定期開催で安くおさえて、コンサート企画と書類申請を請け負う代わりに半分の10万円をアーティストに請求します。
売れないアーティストは、能力を向上させることもなく、集客努力をすることもなく10万円+チケット代金を手にすることができます。
一見この取り組みは素晴らしい感じがしますが、これが横行するようになったら、音楽家の平均レベルは著しく低下すると思います。だって頑張らなくてもお金が稼げるから。
こうした「カンタンにお金が入ってくる」という仕組みは資本主義という仕組み上ありえません。なぜなら、そこにはすぐに競合が生まれ「美味しくなくなる」からです。
これを歪めてしまうのが補助金や助成金だと私は思います。
冒頭に戻りますが、本当に日本の音楽家を応援したいのであれば、「音楽で食べていけるのは一握り。」ではいけないんです。
「すべての音楽家が自分で稼げる」という状況が理想だと私は思っています。
だから私のチケットサービスenLightではコンサートチケット販売と同時に支援金が送られるシステムを導入することによって「低チケット価格によって集客数を確保しつつ、コアなファンにはアーティストとのより強いつながりの対価として追加の消費を促す」という疑似ダイナミックプライシングともクロスセルとも言えるモデルを採用しています。
これは売上を単純に底上げする仕組みであり、アーティストにとっては自分の名のもとにチケットを販売するモチベーションになります。
チケットノルマや低倍率のチケットバック制というアーティストの搾取がなされる現状を変えずとも、アーティストが自由に仕事を選んで追加の収入を得ていく機会を提供することももちろん私の意図するところです。
ですが、資本主義かつ個人主義の視点から述べると、一番の理想は「自分でコンサートを主催して100%自由な音楽表現を追求しつつ収入を得る」ということです。
また別の機会に長々喋りたいことではありますが、「音楽しかできない人を供給しすぎてしまった日本」には、「音楽で食っていくための努力」を促す仕組みが必要だと私は思います。
この実現には、これまでの歪んだ歴史をフィックスするだけの時間が要されることはもちろん、公的機関・音楽家・聴衆のマインドが変わることが不可欠です。
私は歪んだ状況の中で音楽に出会い、安直に飛び込んで、その魅力に触れて、今があります。この憤りと悲しみを感じる現状を少しでも変えるきっかけになるなら私は努力を惜しみません。